ブータン Bhutan
GNH 世界一を目指す国
GNH=Gross National Happiness (国民総幸福量)

ブータンに、2010年5月下旬に訪れました。
唯一の空港があるパロ(Paro)のみの滞在(2泊)でしたが、敬虔なチベット仏教徒の国で、素晴らしい自然に囲まれ、なぜか日本の風景にも似ていて、身も心も癒されました。
本ページで、ブータンの豆知識を仕入れてから、お好みのページにお進み下さい。

ブータン豆知識

国名
ブータン王国ですが、ブータンという言葉は、インド人がチベット(高地)を指して呼んでいた名前に由来するといいます。ブータン人自身は、Druk Yul (ドゥク・ユル)と呼んでいますが、ドゥクは、”雷龍”のことで、”チベット仏教ドゥク派の国”という意味になります。
国旗にも、龍が描かれています。

人々
人口は、70万人程度。約8割がチベット系、約2割がネパール系と言われています。

地理と気候
九州の1.1倍ぐらいの大きさです。
ヒマラヤの南側斜面にあり、標高は100mから7,561m。標高の低いところは、熱帯雨林ですが、標高の高いところは、万年雪や氷河で覆われています。北は、中国(チベット)に、南・東・西は、インドに接しています。:一言でいうと、四方を大国に囲まれた小さな山国というところでしょうか。
6月から8月は、雨季で、土砂崩れなどで交通が乱れることもあることから、乾季が観光シーズンです。パロ、ティンプー辺りは、熱帯モンスーン地域にありながら、高地のため、日本の気温と大きくは、変わりません。訪れた5月下旬は、夏の軽井沢のような気候で、極めて快適でした。トレッキングは、雪が少なく、高山植物も多く見られる夏に行われることが多いといいます。一般的には、秋がベスト観光シーズンと言えると思います。

歴史
7世紀に、チベットのソンツェン・ガンポ王により、チベット仏教が伝えられたとされますが、本格的にこの地に仏教を広めたのは、インド人の高僧であるパドマサンババ(グル・リンポチェ)で、747年にブータンを訪れたとされます。その後、多くのチベット僧が、ブータンを訪れるようになりました。
17世紀に、チベット仏教ドゥク・カギュ派の高僧シャブドゥン・ガワン・ナムギャルが、初めて国をまとめました。チベットにおいて、今のダライラマにつながるゲルク派が主流になり、ブータンに逃れてきたのが原因といいます。彼が亡くなる1651年には、ブータンは、国としてのまとまりを見せるようになっていました。その後、代々シャブドゥンの化身(転生する)が、ブータンの最高権威となりました。そして、宗教界を代表するジェ・ケンポ(大僧正)と、世俗界を統治するデシ(摂政)が補佐する体制が、20世紀まで続きました。
今の王朝は、元は東部の豪族で、1907年に初代ウゲン・ワンチュクが、王位につきました。彼は、ドゥク・ギャルポ(雷龍王)と呼ばれています。国際社会に国と認められるようになったのは3代ジグメ・ドルジ・ワンチョクの時代です。しかし、急な改革に反対する保守派により、妻の兄であるドルジ首相は暗殺されました。現在第5代目となっており、体制も立憲君主制に変わりました。

言葉
ゾンカ語(西ブータンで話されるチベット語をベースにした言語)が国語ですが、英語が事実上の第一公用語です。教育も英語が主流です。ネパール語も公用語になっています。ゾンカ語は、原始的な言葉で、学問には不向きだそうでした。

通貨
通貨は、ニュルトラム(Nu、Ngultrum)ですが、面白いことに、インドルピーと等価です。2010年5月現在、1ニュルトラム=2円ぐらいです。パロでは、US$も使えましたが、銀行で、少し両替(US$から)もしました。

宗教
チベット仏教カギュ派の支派のドゥク派が国教ですが、チベット仏教ニンマ派、ヒンドゥ教の人々も住んでいます。

政治
2008年に新憲法が制定され、立憲君主制に移行しました。2院制です。
現在の元首は、第5代、シグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王です。首相は、シグミ・ティンレイ首相です。
民族アイデンテティ強化策がネパール系住民の難民化につながり、ネパールとの外交上の懸案となっています。また、南部には、インドからの独立を主張するアッサム系の人が侵入したりしましたが、今は落ち着いています。
民族衣装着用の強制なども、ユニークな政策の一つです。
一見、奇異に映るこの政策も、ブータン国のアイデティティを強化することを目的としており、チベットの中国による併合、シッキムのインドによる併合を目の当たりにしてきたブータンにとっては、重大な政策の一つです。
国内テレビ放送が始まったのすら1999年のことに過ぎません。
2004年12月より、禁煙国家となりました。国内では煙草の購入は、できません。煙草は、宗教上の理由からも、好ましくないと考えられています。
ただし、観光客は、屋内等であれば、喫煙は可能なようです。持ち込みには、100%関税がかかるといいますが、個人用であれば、あまりうるさくなさそうでした。

首都
ティンプー(Thimphu)です。パロから、東へ2時間ぐらいのところで、人口5万人ほどです。現在、ブータンには、空港はパロにしかないので、空路で入る場合、パロから車で行くことになります。

外交
かつては、チベットや、モンゴルと戦火を交えました。英領インド時代以来、インドの保護国的なイメージがありますが、植民地となったことはありません。現王朝が成立した1907年を国家成立としています。しかし、他の国々と外交関係を持たず、ほとんど鎖国のような状況がしばらく続きました。
その後、1971年に国連に加盟し、現在20カ国以上の国々と、外交関係を樹立しています。
日本人が初めてブータンに行ったのは、1913年とされていますから、まだそれから100年も経っていません。その後も50年ほど没交流が続き、交流が再開するのは、1958年のことです。

産業
農業、林業(合わせて約35%)、電力(水力発電)が主要産業です。特に、電力は、インドに輸出し、貴重な財源になっています。インドへの電力売却によって得た外貨を生かし、教育費、医療費は、無料に近いです。

観光
日本からは、年間7~8千人の観光客が訪れているとのことでした。トレッキング目的のツアーも組まれています。
ビザは、ツアー会社経由でないと取得困難です。旅行代金として、一日当たり、US$200以上を課しているため、他のアジア地域比、コストは高めになります。豪華ホテルもあり、それなりの施設は整っています。ただ、乗り入れている航空会社は、Druk Air のみなので、ピーク時には、フライトの確保がたいへんかもしれません。
トレッキング目的を中心に、欧米人の人気も高いです。

国技
弓術が盛んです。町では、多くの弓術競技場が見られます。ブータンの弓は、上下の長さが同じで、洋弓に近い弓ですが、本当のアーチェリーを使っての競技もあります。

時差
日本との時差は、3時間です。お隣のネパールが、時差3時間15分というのには、驚きました。15分単位の時差は、初めてだったからです。インドとの違いを強調したかったのでしょうか。。

電話
日本の携帯(AU)は使えませんでした。有線回線を使うしかないようです。もしかすると、ローミングの提携先の問題かもしれませんが。

写真
とにかく田舎なので、装備等は、日本から全て持って行った方がいいでしょう。
写真撮影は、うるさくないですが、寺院の堂内、仏像等は、撮影禁止です。かつては、おおらかだったらしいですが、欧米人の仏像の写真に対する取り扱いに問題があり、全面禁止になったとのことです。
すばらしい仏像も多かったので(どちらかというと、密教系でどぎついものが多いです)、写真集も探したのですが、見つかりませんでした。
元々、写真集などの立派な本を印刷するところもないようで、本そのものがほとんど輸入品で、しかもいい値段しました。

その他
その他、何でも質問受け付けます。お答えできるかわかりませんが。

ヒマラヤ連峰
Himalayas
今回の旅は、ヒマラヤを眺めるというのも目的の一つでしたが、雨季に入りかけのタイミングで、霧などに阻まれ、結局その機会には、恵まれませんでした。
でも、カトマンドゥ(ネパール)からパロ(ブータン)への、機内からは、雲間に浮かぶヒマラヤ連峰を目の当たりにすることができました。感動です!!
パロ空港
Paro Airport
機体が、高度を下げ始めると、緑にあふれたブータンが見えて来ます。
山の合間を縫うように、右に左に舵を切りながら、高度を下げて行くのは、結構迫力です。
この難度の高い運転を要求されることから、他航空会社の乗り入れを認めないのでしょうか。
パロ・ゾン
Paro Dzong
宝石の山の城とも呼ばれるパロ・ゾン。パロで、最大かつ最重要の施設と言えるでしょう。
手前側は、地方行政区の行政を司る役所で、奥は、巨大寺院です。
15世紀に建てられたのが始めといい、ここからパロの町を見渡すこともできます。
国立博物館
The National Museum of Bhutan
パロ・ゾンを見下ろすところに立っている国立博物館。
元は、タ・ゾンというパロ・ゾンを守るための望楼でした。
ここから、パロがまさに一望できます。
農村風景
Rice Field
ブータンにいると、昔の日本にいるような気持になるのですが、その一番の原因は、山間に広がる田んぼと、田植えをする人々の姿でしょう。
あぜ道もくねくねしていて、まだ耕運機もありません。
パロの町
Paro Town
とにかく小さいです。
田んぼが広がる農村地帯に、数百mの商店街があるぐらいでしょうか。
農業が盛んなので、自給自足の生活をしている人もかなり多いのではないでしょうか。

Flowers
高山には上らなかったので、そんな珍しい花々を見た訳ではありませんが。

Bow
弓のゲームが盛んなのには、びっくりしました。娯楽の中心のようです。
昔で言えばボーリング、今で言えばTVゲームのような存在かもしれません。
延々とやっています。チーム対抗戦で、いろいろ賭けるようです。とすると、ゴルフみたいなものでしょうか。
キチュ・ラカン
Kyichu Lhakhang
ブータン最古の寺院です。
あの7世紀にチベットを統一したソンツェン・ガンポ王が、魔女の力を封じるために作った108の寺院の一つと言い伝えられますが、歴史的に確認できるのは、13世紀頃までと言います。
規模的には、そんなに大きな寺院ではありませんが、中の雰囲気は、チベット仏教の匂いがぷんぷんです。
タクツァン僧院 ①
Monastery of Taktshang ①
タクツァン僧院は、山の上にあります。
山の上の寺院には、これまでも数多く寄ったことがありますが(山寺、スリランカのシーギリヤ、ミャンマーのポッパ山等)、ダントツにここは、しんどいです。
寺院にお参りというより、トレッキングを楽しむ気持ちで、取組む姿勢が大切です。
タクツァン僧院 ②
Monastery of Taktshang ②
タクツァン僧院へ登った甲斐は、絶対あります。
ここも、あのチベットに仏教を広めたパドマサンババ(グル・リンポチェ)が、チベットから虎に乗って飛んできて瞑想したのが、始まりです。
僧院には、ちゃんと瞑想した穴も残されています。
ドゥゲ・ゾン
Drukgyal Dzong
ドゥゲ・ゾンは、パロ谷の一番奥まったところにあります。チベットとの交易路で、チベット軍の侵入の経路にもなったため、この先で、道は閉鎖されていると言います。
このドゥゲ・ゾンも、チベット軍との戦いの勝利を記念して、17世紀に作れらたものですが、今は、廃墟になっています。
お土産
Souveniors
正直、なかなか凄いお土産はありません。
でも、よく見ると、えぇっというものもありますから、諦めないで、ぶらぶら探してみましょう。